【香港ローカル ニュース Vol. 44】
『港區國安法』すなわち「(香)港(特別行政)区国家安全維持保護法」は、当地香港では「国安法」と呼ばれることが多く、街頭のポスターでは英語名がNational Security Lawと書かれています。これは、香港市民の司法上の理論的根拠である民法や刑法や税法に該当するものが、実際には、「香港条例 第XX章」Ordinance Chapter XXと呼ばれているので、返還後の香港の憲法のようなものと称されている『基本法』に次いで、「~法」という呼称のものとしては二つ目になります。
この中華人民共和国全国人民代表大会で可決され、香港行政長官の権限で即時施行された法律により、本来の香港人も、外国人居住者も、あるいは香港へ旅行で一時滞在する外国人も、中華人民共和国の「国家安全」に反すると判断されると、検挙・身柄拘束される可能性があります。法律の内容については、ウィキペディア日本語版に項目が立てられ、既に100回ほど編集を経ているので、具体的な内容はそちらで確認することが出来ます。今回の新法により、香港の行政・司法とは独立した、北京中央政府直轄の監督機関が設けられることになっており、既にその事務所として、香港島のコーズウェイにある、ベスト・ウェスタン・ホテルが買収されて、即時内部改装工事が始まることが発表されました。
ここでは、香港に居住している人たちの反応を見ていきたいと思います。一つ目は香港中央図書館から民主化運動家の著書が所蔵書籍から取り除かれたという報道記事、二つ目は民主化活動支持の『蘋果日報 Apple Daily』からコラムニストの林夕(香港の広東語ポップスの作詞家として有名)などの執筆内容からどんな感想が述べられているかを、概略で紹介します。
▼【禁書時代の到来】康文署が公立図書館の蔵書の一部を見直し。国安法に抵触する内容の有無を確認するため
*康文署は香港政府機関である、康樂及文化事務署Leisure and Cultural Service Department 英語公式サイト: https://www.lcsd.gov.hk/en/
港區國安法、「(香)港(特別行政)区国家安全維持保護法」(以下、香港ローカルメディアに従い、「国安法」と略称)が先月末に発効し、香港中央図書館(所在地:香港島のヴィクトリア公園の向かい)は4日付け一部の政治的人物の著作を自主規制の対象として、開架の書棚から取り除き、貸出し対象から除外した。これには、立法議会の現職議員の陳淑莊 Tanya CHANや、元香港眾志Hong Kong Demosisto (6月30日付けで既に解散済み)総書記黃之鋒Joshua WONGや、陳雲 CHIN Wan (このペンネームで、『香港都市国家論』(原名:香港城邦論)等を著した香港人で西洋文学・比較民俗学の学者。2008~2014年に嶺南大学教授を努める。また返還直後の香港政府の文化芸術発展局などの公職も努めたが、香港独立提唱派と目されて2007年には離脱。本名は陳云根 Dr. Horace CHIN Wan Kan)の著作が含まれている。康文署が『立場新聞 The Stand News』に回答した内容では、国安法の成立後に、香港の公立図書館は蔵書が関連する法律の規定を遵守しているべきであり、国安法の規定に抵触することがないよう、該当する図書館は一部の書籍の内容が国安法に違反していないかをレビューし、なおかつ市民への貸出・閲覧を中止したとしている。
さらに、香港の公立図書館の所蔵書目の発展事業は、国連ユニセフの公共図書館宣言にある原則をガイドラインとしており、所蔵品は香港の法律規定に沿ったものであることが必要だと述べている。
ジョシュア・ウォンの二著作、陳雲の六著作がレビュー中
「立場新聞」記者が図書館オンラインサービスサイトで検索したところ、陳淑莊Tanya CHANは公立図書館に三冊の著作が所蔵されており、そのうちの《邊走邊吃邊抗爭》『歩きつつ食べつつ抗戦しつつ』だけが「レビュー中」の表示となっており、館内での閲覧・貸出無し・借出予約不可になっている。出版社のサイトの内容紹介によれば、当書は、子育て、普通選挙、デモ活動、テレビ局のライセンスなどの論題を検討するもの。一方、ジョシュア・ウォンの著作は、《我不是英雄》(僕はヒーローではない)および《我不是細路 : 十八前後》(僕は子供ではない:十八前後)の二冊が公立図書館に所蔵されており、どちらも「レビュー中」の表示がされて、借出予約不可となっている。陳雲の数ある著作のうち、『香港都市国家論』の一巻目とその続編、『都市国家主権論』、『香港防衛戦』、『香港遺民論』、『人間と土地一体論』が同様に「レビュー中」の表示になっている。
「立場新聞」記者が午後にジョシュア・ウォンの著作『僕はヒーローではない』をネット上で借出予約してみようとしたところ、東涌、沙田、元朗の公立図書館では現状では「館内開架上」となっていたが、実際に予約して元朗公立図書館で本の受け取りを申し込もうとしたら、予約できないという表示が出た。しばらくすると、上記の三図書館の図書蔵書状況が「レビュー中」に変わっていた。
親中国メディアである《點新聞》(『Dot Dot News』、官製のネットニュースサイト)と《文匯報》(日刊新聞)は、既に六月の時点で公立図書館に「暴動を扇動し、香港独立を標榜している」書籍があるのはけしからんと指摘しており、黃之鋒ジョシュア・ウォンと陳淑莊タニア・チャンを名指しして、法律の規定に基づきこのような読者に法を犯すようなにけしかける内容の書物があってはならないと述べ、また康文署スポークスマンの発言を引用して、一般市民が個別に図書館の所蔵書籍に意見を出すならば、図書館側は該当する書籍の見直しをすることになるとしている。
引用元出典:『立場新聞』The Stand News (ネット上のニュースサイト) 2020/7/4 — 21:47
▼「禾日水巷力口水由」 – 林夕
專欄作家(コラムニスト) : 林夕 (ラム・チェック、現在の香港現地ポップス界でトップの作詞家の一人。エッセイスト・コラムニストでもある。ExileのAtsushiが、林夕作詞の広東語の歌を日本語カバーしたものがいくつかある。)
*タイトルの「禾日水巷力口水由」は、国安法施行後、北京の中央政府への敵対と取られる表現を自主規制せざるを得ない状況にあって、禁句になりそうな、「香港加油 ホンコンガンバレ」の意味の四つの漢字を偏とツクリに分けたもの。他にも、これまでデモ参加者がスローガンとして使っていた様々な表現は今後検挙の対象になるため、いろいろな「暗示」によって表現せざるを得ない状況が既に始まっています。林夕は仏教徒なので、仏教の名句を引用して、作詞家らしく、言葉のアヤで現行の香港政府と警察のやり方をおちょくっています。
木木奠耳(=林鄭、香港政府行政長官キャリーラム;以下、「言葉狩り」が始まりつつある香港のメディアの現状に合わせて、漢字を分解した言い方が続きます)の言葉によれば、過去一週間内に、人権自由が侵犯されたことはなく、たとえそのような言葉が出てきたとしても、誰かが白色テロをでっち上げているに過ぎない、のだそうだ。
泥棒を捕まえろと泥棒が叫ぶだの、悪者こそが最初に非難の声をあげるだの、木木奠耳は悪習慣と発達障害を断ちきれずにいるが、みんな今度こそ木木奠耳を無罪放免してはいけない。いわゆる白色テロの白というのは、彩色パレット上で出てこない5%の黒を含んだ白、人に恐怖を味わせる白であって、本当は無色なのだ。
ここで『般若心経』を超訳してみると、いわく「無色声香味触法(むしょくしょうこうみしょくほう)」が意味するのは、音もなく色もなく、息も匂いも味もない状態でも、法に抵触する可能性があるという意味だ。
いわく『心無罣礙(しんむけいげ)無罣礙故(むけいげこ) 無有恐怖(むうくふ) 遠離一切(おんりいっさい) 顛倒夢想(てんどうむそう) 究竟涅槃(くきょうねはん)』とは、自分の心に妨げになるものがあるから、いつも恐れがあり、だからこそ、ついにはあべこべの夢想から自ら遠ざかり、おびえて過去と同じように、大きな声で夢想を表現したり、前に歌った歌をうたうのだとしても、だれもが「無眼界乃是無意識界(むげんかいないしむいしきかい)」の状態にあり、フェイスブックでブロックされてしまう前に、自分から「フェイスなし人間」に化けてみせるのだ。
かくなる状態こそは、真実虚ならざる白色テロであり、季節はずれの冬のセミはなにゆえもう鳴かないのか。港区国安法条文全体の字数は、『論語』より2千文字ほど少ないだけだが、現代標準中国語の文字としては、一般民衆が一文字一文字追うように読んで行くのは孔子の語録を原文の古語で読むことより難しい。以前に当コラムで書いたことがあるが、不立文字の天啓の書のごとく、『心経』がいう「諸法空相」の真の意義を知ろうとするのは、まさに読者が行った「不生不滅(ふしょうふめつ)」、時効は消滅しないのに証拠は永久に残り、背中に背負ったセキュリティーボックスには「不垢不浄(ふくふじょう)」があり、家宅捜索を受けて逮捕された後に、どれほど長く“座禅を組まねばならないか”は「不増不減(ふぞうふげん)」であり、一切は皆「無明明尽(むみょうみょうじん)」に過ぎず、結局は木木奠耳の背後にいるお師匠さんの一言に掛かっているのである。果たして、誰か「無有恐怖、無有罣礙」(恐れるべきものがあるわけでなく、妨げになるものがあるわけでない)を実行できるものがいるだろうか。
いわば“二回目の祖国復帰”の初日の所見を観ずるに、諸々の人が集合して、紫色の幟(のぼり)を掲げるは「洪魔」を見るがごとく、その十人が大法の政権転覆国家分断罪を犯したのである。では、法律の執行者が白色テロを起こしているのであるか。否、「火兀彳复禾日水巷/日寺人戈廿口十人一口卩」 <=光復香港/時代革命=香港の自由回復、時代の革命>の八つの文字は、司法省の理解によれば、「水巷犬蜀」 (=港獨=香港独立)を宣言するに等しいのであり、このような解釈こそは、法によって人を治め、人が治めるには拠るべき法があるという原理なのだ。
従って“白色テロ”を拡散させようとしている張本人は、つまりA3の白紙を掲げ持つ人々(=政府が白色テロを始めたとして抗議の意味でデモ参加者が手に持っていたコピー用紙)であり、彼らが、司法執行者をして「照見五蘊皆空」せしめるのであり、ついには紫色テロを掲げる者を驚かせること、脳に空白の恐怖を生じせしむるのである。また、「栄光」を数字に変換すること<『願榮光歸香港』「栄光が香港に帰することを願わん」というデモ参加者の曲をそのまま出すことの代わりに、音名(ドレミ…)の数字(123…)に置き換えて暗示するやり方がネット上で話題になったこと>は、メロディーを歌詞から引き離そうとする試みであり、歌詞から引き離された数字の羅列を見るなら、無量衆生を驚かすこと、恒河沙数のごとしである。
あの「上善水の如し」(=Be Water戦法)を継承して臨機応変に活動する人々は、「幻想の力」で木木奠耳に「大開眼界」Eyes Wide Openの境地を味わわせ、まさに彼女が言ったとおりで、なんびとであれ今回の立法が一国二制度を損なうと言うならば、気に留めるまでもないのである。一般庶民が無駄に気を揉んでいるのであって、内なる心が「行い穏やかにして遠きに致す」ことを守りぬけば、無闇に人を驚かす悪党になることを避けることができ、『金剛経』に言う「應無所住而生其心」(応(まさ)に住する所無うして、しかして其の心を生ずべし)を銘記すべきなのだ。「『願榮光歸香港』の歌」を歌っても直ぐに忘れ、レノン・ウォール(民主化・普通総選挙を求め、逃亡犯条例改訂反対の各種スローガンやポスターなど張り紙がされた香港市内色々なところに出現した掲示板)に貼紙をしても忘れ、「住する所無く」、心は旅舎のごとく、行くものあれば帰り来るものあり、ただ忘れてからも心の中では榮光歸禾日水巷(=『(願)榮光歸香港』=榮光 香港にあれ)を歌い、この信念には来るも行くもなく、証拠物件が何ら存在しない空間なのだ。「禾日水巷力口水由」(=香港加油、「ホンコン、ガンバレ」)は口に出して叫ぶ必要はないのである。
引用元出典:蘋果日報 7月9日のコラム欄より